福島地方裁判所 昭和28年(ワ)261号 判決 1955年1月21日
原告 青山みどり
被告 中村達男 外一名 (いずれも仮名)
主文
被告等は原告に対して各自金五万円及びこれに対する昭和二十八年十二月二十五日(但し正夫は同年一月一日)以降右完済まで年五分の割合による金員を支払え。
原告その余の請求を棄却する。
訴訟費用はこれを三分してその一を原告の負担とし、その余を被告等の負担とする。
本判決は原告勝訴の部分に限り原告において被告等に対し各々金一万円の担保を供するときは仮りに執行することができる。
事実
原告は「被告等は原告に対し連帯して金十万円及びこれに対する昭和二十八年一月一日から右完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え、訴訟費用は被告等の負担とする、」との判決並びに担保を条件とする仮執行の宣言を求め、その請求の原因として、被告正夫は被告達男の実兄であるが、原告はかねて被告達男と婚約中のところ、昭和二十五年九月二十七日右婚約の祝として被告方で一泊し、翌二十八日には同被告と原告方で一泊し、更に同年十月八日頃には被告方の稲刈手伝のため被告方で数泊したりしたが、その間、原告は、達男と関係したため、受胎するに至つた。翌昭和二十六年一月二十五日原告は達男と慣習上の婚姻の式を挙げ爾来被告方で同被告と同棲してきたが、前記のとおり原告は既に懐胎中であつたゝめに身体の調子も悪かつたが、農家の嫁としての立場から不平も言わずに被告方の激しい農業に従来してきた。しかし被告方(被告等を含む、以下単に被告方と表示する)では原告に対し同情の念がないのみか、原告が仕事中少しでも手を休めると悪口雑言を重ねるような有様であつた。そして原告は臨月に近づいてからは日夜腹痛のため難渋していたが、被告方では「腹が痛い等とは実家に行つて休みたいからだ」等と言つて相手にしてくれなかつた。かようにして同年六月四日原告は寝食もできない程の腹痛で苦しんでいたので正夫の妻文子が「お産をするのだ」と被告等に説明したが、被告方では相変らずこれを相手にしてくれないので、原告は巳むを得ず「お産をするのです、」と告げて実家に帰ることにしたがその途中で翌五日訴外小林操方で男子を分娩した。被告方では右分娩のことを知つてからリヤカーをひいてきて原告と分娩児とを乗せ被告方に連れ帰つたが、同日から四日程経つと正夫は「産児は持参子に違いない、」と言つて、原告に対し連日詰問と脅迫を続けるので、このまゝでは原告は到底健康を回復することもできず、また分娩児が育つことも覚束ないと思つたため一時実家に帰つて休養することにした。その後原告は健康を回復したので原告の父を介して被告方に復帰したい旨申出たけれども被告等は「原告は持参子を生んだ不届な嫁だ、」と非難して原告の復帰に応じない。右のような事情で原告と達男との内縁関係は破談に終つたわけであるがその責任は原告に対して被告方に同居し得ないような前記仕打を加えた被告等両名にあり、これがため原告は精神上甚大な苦痛を被つたので、被告等はこれを慰藉すべき義務がある。そして原告は村内中流の農家に生れ、被告方は村内上流の農家で、達男は被告方の五男であるが、既に他の女子と婚姻し、相当の財産を分与されているものである。これらの各事情を斟酌するときは原告の右精神上の苦痛に対する慰藉料は金十万円を以て相当とする。そこで原告は被告等に対し連帯して右金十万円及びこれに対する昭和二十八年一月一日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による損害金の支払を求めるため本訴請求に及んだと述べた。<立証省略>
被告等は「原告の請求を棄却する、訴訟費用は被告の負担とする、」との判決を求め、請求原因に対する答弁として、原告の主張事実中、原告と被告達男とが婚約中のところ、昭和二十五年九月二十七日原告が同被告を訪れて一泊し、翌二十八日には同被告が原告方で一泊し、更に同年十月八日頃には原告が被告方の稲刈手伝のため被告方に来て数泊するうち、同被告と原告が関係を結んだこと、昭和二十六年一月二十五日同被告と原告とは婚姻の式を挙げ、爾来被告方で同棲したこと、同年六月五日原告が小林操方で男子を分娩したので、被告方では原告と分娩児を被告方へ連れ帰つたこと、は認めるが、原告その余の主張事実はすべて否認する。原告は本件内縁関係破談の全責任は被告等にあると主張するが被告等は原告に対してその主張のような仕打をしたことはなく、この破談の原因は寧ろ原告の恣意に基くものである。すなわち
(一) 原告は達男と同棲後同被告を嫌つて内縁継続を欲しなかつた素振が見受けられる。
(1) 昭和二十六年の旧三月三日、原告が節句祝に実家に行く折等、被告等の父正信が「節句祝に行くのに沢山荷物を持つて行くのは見憎いから」と制止したにもかかわらず、原告は多数の衣類を実家に持ち帰つた。
(2) その後、被告等に無断で原告はその実家に帰つたこともあるが原告の姉に送られて被告方に帰つてきた。
(3) 同年四月二十九日にも原告は選挙のためと称して実家に帰つたが、その折にも洗濯してくると言つて衣類多数を持ち帰つた。そのことについて原告は正夫の妻に対して「本当は洗濯するためではない。私はどうせこの家には居る気がないから後で不自由しないように持ち帰つているのだ、」と語つたことがある。
(4) 同年五月八日、原告は媒酌人津田秋男方に行つて「達男は父や兄の世話にならないと言うが、世話にならなくては生活ができない。新宅に出してもらつても将来が案じられるから実家に帰る」と言つたことがある。
(5) その後原告は実家の父に「達男からモンペを破られた、」と虚偽の事実を告げたので、原告の父が達男を呼んで叱つたとき、原告は達男に対し「夫婦別れをしよう」等と言つたことがある。
(二) 被告方では原告に虐待を加えたり過重な労働を強いたこともなく、病気という時に無理な仕事をさせたこともない。
(1) 原告は昭和二十六年二月十八日「おり物」があるというので、郡山市の三田病院で診察してもらつたが何も病気という程のものではないことが判明した。
(2) その後も同年五月末頃「おり物」があると言つて騒ぐので、直ちに助産婦池田テルに診察を受けさせたが、「何も心配はない」とのことだつた。
(3) 同年六月四日の朝原告が腹が痛いと言うので、被告家では直ちに助産婦を呼ぶ予定のところ、原告は「本宮町の叔母の家まで行く」と称して被告方を出かけたが、動けそうにもないので、正夫をはじめ家人が口を極めて制止した。原告はこれを聞きいれないので、当時田植の最盛期で人手もないまゝ、被告方では止むを得ず小学校六年生の被告家人に命じて原告に同行させたところ、翌五日小林操方で男子を分娩した次第である。被告方では右分娩後直ちに衣類寝具等を持運び、或は手当を加えるなど万全の措置を取つてきた。
(三) 原告の右分娩児は以下の理由で達男の子と考えられない。
(1) 原告は昭和二十五年十月下旬頃及び同年十一月中旬頃二回程被告等の母に「胎児を堕したい」と口走り、また前記津田秋男が婚姻挙式の日取を定めるため、原告方を訪れた際に、原告の父母も胎児のことを心配して秋男にそのことを告げたこともあり、更に原告は挙式後の昭和二十六年二月二十日にも右秋男の妻美代子に「子を堕したい」と泣いて告げたこともある。もし胎児が達男との子であるとすれば、慣習上の婚姻式も挙行した原告がなにも堕胎するような気持を起すはずがない。
(2) 右分娩後被告等の母が助産婦に対して日数計算の点から「早産したのか」と尋ねたところ、同人は「月はたつぷり這入つていて体重も八百五十匁程ある、」と答えたが、達男と原告とが関係を生じた日から起算して成熟児が出産するはずはない。
(3) 前記のように不審な点があるので、正夫が原告と話し合つた結果、原告は正夫に対して「昭和二十五年九月三十日、郡山工機部勤務の井川進と情交した」旨を告白するに至つた。(後に調査したところ右井川は実在しないことが判明した。)しかし正夫はかようなことがあつたとしても、家庭の円満を計るためには、いつそ正夫の子であることにしたらよかろうと考えて、その旨原告と引合わせたところ、原告は「御恩は忘れない、」と言つて感謝した。しかし正夫はこの事実を原告の両親に告げてその了解を得ておいた方がよいと考え、同年六月十六日原告の両親にその旨を話したところ、却つて逆効果をもたらし、遂に原告の母が原告と分娩児を実家に引き取つたのである。
(四) 被告方では原告と達男の婚姻の継続を希望する理由があつた。すなわち、達男は昭和十九年二月以降太平洋戦争に出征し、頭、腰、足の三ケ所に戦傷を受けたが、頭部の傷害のため判断力が鈍り、白痴にも等しい状態のときがあるので、先には同人の先妻中田和枝から嫌われて遺棄されたこともある。そこで被告等は原告との婚姻の永続を心から念願していた次第である。
以上の経緯をたどつてきたのであるから本件破談の原因は、達男との婚姻継続を嫌つて種々の策動をした挙句被告方を立ち去つた原告にある。従つて被告等から逆に慰藉料の請求権があるとしても、慰藉料支払の義務はない。よつて原告の本訴請求には応じられないと述べた。<立証省略>
理由
原告と達男とが婚約中のところ、昭和二十五年九月二十七日原告が被告方を訪れて一泊し、翌二十八日には達男が原告方で一泊し、更に同年十月八日頃原告が被告方の稲刈手伝のため被告方にいつて数泊する等の間に達男と原告が関係を結ぶようになつたこと、昭和二十六年一月二十五日達男と原告とが慣習上の婚姻の式を挙げ、爾来被告方で同棲したこと、同年六月五日原告が小林操方で男子を分娩したので、被告方では原告と右分娩児とを被告方へ連れ帰つたこと、その直後右内縁関係が破談に終つたこと、は当事者間に争がない。
原告は本件内縁関係破談の責任は原告に対して同居し難い仕打を加えた被告等両名にあると主張し、被告等はこれを否認して右責任はかえつて原告の恣意に基くというので、先ずこの点について判断することにする。証人根本イシ、青山久治、青山タケ、中村正信の各証言、原告及び被告両名本人尋問の結果に弁論の全趣旨を総合すれば、前記のとおり原告は昭和二十六年一月二十五日以来被告方で達男と同棲してきたが、被告方の農耕は原告方のそれに比べると相当に激しく、原告は姙娠期間中であつたにもかゝわらず、通常男子の仕事とされている田の畔塗り作業をさせられたことなどもあつたこと、原告はあまり仕事のできる方ではなかつたのに、姙娠中でもあつたゝめ、到底被告方の激務にたえられず、従つて被告方の満足を得ることはできなかつたこと、そこで原告は被告方からむしろ冷淡な待遇を受け、時には口喧しく罵られたこともあつたこと、そのような次第で、原告は被告方に居辛い思いをするようになり、口実を設けては屡々実家に帰るようになつたこと、などが認められる。一方被告達男は太平洋戦争中頭部に受けた戦傷のため、一時は白痴同然の有様となり、その後はやゝ回復して農耕に差支えない程度になつたとはいえ、(以上の事実は原告の明に争わないところである)前掲各証拠によれば、前記認定のような原告の立場を理解し、夫として原告の信頼にこたえる程のこともできず、そのため原告においてこのような内縁関係の継続に不安を抱くようになつた経過を認めることができる。しかし右認定の事実はいずれも本件破談にはさしたる関係はなく、その直接の原因は、後に認定するように、原告の分娩児が達男の子であるかどうかの問題に係つていたことが明らかである。
原告の右分娩児が達男と原告の子である事実は原告青山誠、被告中村達男の当裁判所昭和二十八年(タ)第一七号子の認知請求事件によつて当裁判所に顕著の事実である。ところで、前掲各証拠によれば原告の分娩児出産は日数計算の点からして相当早産であつたこと、しかも分娩児は成熟児として出産したこと、原告は達男と終生をともにすることに不安を抱いて達男等に無断で実家に帰つたこと、原告が懐胎中屡々堕胎したいと口外したこと、達男が、昭和二五年九月二八日には原告と関係しないから、原告の子は自分の子ではない、といつたことなどから、正夫は、一途に原告の分娩児を達男の子でないと判断し、その判断を前提として、分娩後四日程でまだ産褥にある原告に対し「達男は、おれの子ではないといつてるが、みどりさんは、うそを言つているのではないか、血液検査をすればすぐ分ることだが、もし達男の子でなければ金五十万円のほか食事代等を合わせて金七十万円を実家からもらうようになる。」とか、「ほかの男と遊んでできた子なら、子供だけ実家に返せばよい。みどりさんは、このままここにおられる。」とか、「おれがみどりさんの家に泊つて、関係してできた子だということにしてもよい。」などといつて、連日にわたつてあるいは原告をおどし、あるいは甘言で原告を誘い、何とかして口を割らせようと原告を責めたてたため、産後ではあるし、錯乱した原告は、浅慮にも正夫に対して「昭和二十五年九月三十日郡山工機部勤務の井川進と関係した」とありもしない事実を告白するに至つたこと、正夫は、原告の右告白を真実と思い、直ちに原告の両親にその旨を伝えたので、原告方では痛く憤慨して、程なく原告を分娩児とともにその実家に引き取つたが、それから両者の間がこじれ出し、右虚偽の告白が決定的な原因となつて、本件破局をみるに至つたことが認められる。
一体、夫たるものが、妻の出産した子を自分の子ではない、と否認するためには、それにふさわしい合理的、客観的な充分の証拠が必要であることは、いうまでもない。原告の子は、達男の子であるのに、多少知能の程度が低いとはいえ、達男は、昭和二五年九月二八日原告と関係したことを忘失し、(右関係のあつたことは、原告本人尋問の結果で明らかである。)主観的一方的に分娩児を自分の子でないと判断し、原告の虚偽の告白を軽信して、ついに本件内縁関係を破談に終らせたのは、夫としての義務に違背するものといわなければならず、また正夫が産褥にある原告を連日詰問するような社会通念に反する非常識な手段をとつて原告に虚偽の告白を強いたことは、まことに軽挙の譏りを免れがたく、右告白が本件破談の決定的原因となつた以上、これについて正夫はその責に任じなければならない。
そこで被告両名の責任について考えてみるのに、先きに認定した事実によれば、本件破談について主導的立場にあつたものは正夫であつて、達男は、通常人に劣る知能の持主であるため、正夫の意を受けて消極的に行動していたに過ぎないことが明らかであるが、婚姻の予約は将来婚姻すべきことを約束した男女の合意であつて、右予約終局の目的である婚姻を実現するか否かは、専ら当事者のみの決するものであり、第三者は単にそのような当事者の決意を促進する雰囲気を作るにすぎないものと解すべきものである。(前示のとおり達男は多少知能程度が劣るとしても、同人尋問の結果によれば心神耗弱者であるとは認められない、)そうとすれば、達男は、原告と将来婚姻すべき約束を破棄した責任を負うべく、正夫は、故意または少くとも過失によつて、原告と達男間を離間して婚姻の成立を妨害した責任を負うべきものであるから、両名の右責任はいわゆる不真正連帯債務の関係にあると解しなければならない。
進んで慰藉料の数額について判断するのに、成立に争のない甲第三、四号証及び前掲各証拠によれば被告等の父は田畑三町余畝歩、山林、原野等約七町を有する村内上流の農家であつて、正夫はその長男であり、達男はその五男ではあるが田約七反六畝歩、山林約一町五反を分与されて、相当の生活を営んでいること、一方原告の父は田畑約二町歩を経営する、村内中流の農家であることが、いずれも認められ、その他本件弁論に顕われた諸般の事情を勘案するときは原告の精神的苦痛に対する慰藉料は金五万円と認めるのが相当である。
そうであるから被告等は原告に対して各自金五万円及びこれに対する本件訴状が被告に送達された日の翌日であることが記録上明らかである昭和二十八年十二月二十五日(但し正夫は同年一月一日)以降完済まで民法所定の年五分の割合による損害金を支払う義務がある。そこで原告の本訴請求は、右の限度において理由があるのでこれを認容し、その余は理由がないからこれを棄却すべきものとし、訴訟費用につき民事訴訟法第九十二条本文第九十三条第一項本文、仮執行の宣言につき同法第百九十六条をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 斎藤規矩三 小堀勇 松田富士也)